日本型「ジョブ型雇用」は成果主義なのか?

筆者はラジオの早朝番組を聞いて世間動向をつかむのを日課としている。先日、某経済アナリストが、岸田政権が掲げる持続的な賃金上昇のための三位一体改革について、「職務給にすると成果主義になり、成果を上げない人はどんどん切り捨てられていくから問題だ!」と言うのを聞いて唖然とした。

これまでにも触れたが、職務給は成果主義とは関係がない。職務に値札をつける仕組みで、職務要件を定める職務記述書(JD)に基づき人材を採用し賃金を払う(採用後、JDに見合う仕事ができなければ解雇他の形で退出プロセスに移行することはあるが、成果主義とは別の話である)。

「多くの人の常識とは全く逆に、ジョブ型社会では一部の上澄み労働者を除けば仕事ぶりを評価されないのに対し、メンバーシップ型では末端のヒラ社員に至るまで評価の対象となります。」(「ジョブ型雇用社会とは何か」濱口桂一郎 岩波新書)とあるように、職務給の基本形に成果主義に基づく評価はセットになっていない。
むしろ、日本型雇用制度(「メンバーシップ型」)の下での方が、現場のオペレータから幹部社員に至るまで成果主義で評価されている面がある。問題は、「成果」の定義が茫漠で、客観的なアウトプットよりも「ヒト」に着目した主観的・情緒的な評価になっていることではないか。
 
ところで、政府が期待するような持続的な賃金の上昇は、日本型職務給の導入によって実現できるのだろうか?

職務給的賃金制度が企業横断的に普及すれば市場で不足する職務スキルを持つ人材の転職が容易になるから、人材確保・定着のために各社がその職務の賃金水準を引き上げ、賃金相場は上昇する。長い時間をかけてこのサイクルが様々な職務に広がっていけば賃金上昇の好循環につながる可能性はある。

しかし、イノベーション等により企業業績が上昇し続けること、不満があっても今の会社を飛び出す勇気がないために留まり続ける労働者のマインドセットが変わること、がセットにならないと、持続的な賃金上昇は難しいのではないだろうか。


 #職務給 #日本型ジョブ雇用 #職務記述書 #持続的な賃金上昇