会社勤めをしたことがある人なら、言われなくても分かるトピックであろうが、過去の経験を踏まえ、働きやすく明るい会社(職場)とそうでない会社(職場)の違いを整理してみたので紹介する。
明るい職場や会社の特徴は、少なくとも4つある。
1.笑顔:
長年勤めたA社を辞めてB社に転職した初日、緊張しながらオフィスフロアに入ると、廊下ですれ違う社員が笑顔で「おはようございます」と挨拶してくれた。これでこの会社は大丈夫だとの予感がしたが、実際その通りだった。社員に笑顔がある会社は成長する。
他方、X社での初日、オフィスに人はいるのにシーンと静まり返っている。廊下ですれ違う社員のほとんどが目も合わせず、会釈もせずに通り過ぎていく・・・昼休みになるとスマホに目を落としたままの姿勢で廊下をすれ違う社員達。何かがおかしいと感じたが、経営幹部が部下を呼びつけては叱責と罵声を浴びせる日常に接して合点がいった。怯えているのだから、笑顔の作りようもない。
2.適度な雑談(Small talk):
就業規則の服務規律の条項には「勤務中は職務に精励し、無用な私語をしないこと」などと書いてあるのが普通である。だが、明るい会社には適度な雑談の声がする。これが職場の潤滑油になり、結果として労働効率を高めることにもなる。雑談ばかりしていて仕事をしないようでは問題であるが、さじ加減をコントロールするのは各々の職場のマネージャーの大事な仕事である。締め付け過ぎればギスギスした雰囲気になるし、緩め過ぎればただの社交場になり生産性は上がらない。
経営幹部や上司がいないときは、和やかな雑談が適度に交わされているのに、彼らが戻って来た瞬間にシーンとなる会社は、かなり問題がある。隣や向かい側の席にいる同僚とさえ口を利かずにPCに向かって作業し、上司の叱責に怯えながら一日を過ごす・・・こんな職場にいたら息が詰まり窒息してしまうであろう。
3.何でもメールで済ませない:
ITインフラが進んだおかげで、業務上のやりとりの大半はメールで済ませることができるようになった。
しかし、本当に大事なことはメールだけで済ませず、Face to faceの打合せをした方が良い。直接話すことでお互いの理解のずれに気付いたり、方向性を修正することができる。何よりも対面で話し合うことでお互いに対する信頼感が高まる(ザイアンスの法則)。
ダメな会社は、業務の指示を含めすべてをメールで済ませようとする。リモート勤務なら仕方がないが、数メーター先(あるいは隣)に居るのに、メールを入れてくる。筆者は古い人間なのかもしれないが、メールだけで業務指示を受けるとカチンとくる。メールを利用して文書にすることは正確に情報を伝える上で重要であるが、細かいニュアンスや背景にある考え方などは会話によるコミュニケーションを通じないとなかなか伝わらない。Face to faceの会話のキャッチボールを通じて、相手の言いたいことが腹に落ちれば、同じ方向を向いて仕事をしようと言う気にもなるのである。
メールとPCさえあれば仕事が完璧にできると考えている経営者がいるなら、問いたい。
高い賃料を払って都心にオフィスを構え、満員電車に揺られた社員をオフィスに出勤させ、私語もさせずになぜ黙々と仕事をさせるのか? 会話が必要ないなら、モバイル機器を社員に与えて在宅勤務(営業社員なら直行直帰)をさせれば済むことである。会社に来させる本音の理由が、部下の仕事を直接フォローし叱責するためだとしたらこれほど不合理なことはない。経営者にとって都合の良いときに都合の良い返答ができるように常に部下を近くに待機させておく・・・いわゆるパソコン社員(スイッチはオンになっているが常に使っているわけではない状態)である。
残念ではあるが、パワハラにまつわる労働問題が増え続けている日本の企業社会では、例外ケースとは言えないように思われる。
4.意見が言える:
上司の指示命令に対しても、臆することなく質問や意見をすることができる雰囲気がある・・・これが明るい職場(会社)に必要な絶対条件である。意見が通るかどうかは一応関係ない。まずは、意見を言えることが大事であり、最終判断は上長(最終的には社長)が決めるのは組織構造上当然である。
部下が少しでも意見をしようものなら、顔を真っ赤にして怒り出し、延々と叱責と否定を繰り返す・・・このような職場環境に身を置いていると、「学習性無気力」になり、「どうせ言っても無駄だから、黙って言われた通りにしていよう」ということになる。次から次へと出てくる企業のコンプライアンス違反の不祥事も、このような凍りついた命令組織を容認してきた経営者の狭量から来る、身から出た錆と言えよう。
礼節を欠いてはいけないが、言いたいこと、言うべきことをきちんと言う人間であり続けたいし、それが許される職場で仲間と苦楽を共にしたいと思うのは、甘すぎる考えであろうか?
40年近く続けたサラリーマン生活を近々終える予定のシニアがたどり着いた、平凡な結論である。
以上