· 

年齢(あるいは年次)―このやっかいなもの

拙著、「外資系企業で働くー人事から見た日本企業との違いと生き抜く知恵」用に書いた原稿で実際には掲載されなかったトピックを以下に紹介する(写真は、昨年暮れにオアゾ丸善にて陳列された拙著)

 

しばらく外資系に勤めてから日本企業勤務を振り返ると、「年齢(正確には入社年次)」に呪縛されていたことに気づかされる。

 

同期入社の社員間の競争を通じて社内序列が定まり、処遇条件が決まってくるので、いつ入社したかが大事なポイントとなる。社員同士も、互いの入社年次を気にしながら先輩・後輩の序列を崩さない接し方をするのが普通である。人事屋としては、社員の名前を聞いただけで入社年次が言えるようになって一人前とされる。入社年次毎のおおよその給与水準と個人毎のばらつきが頭に入っていないようでは、人事屋としては半人前である。このように社内の年次管理だけに集中するシステムの中にいると、外部労働市場が目に入らず、市場価値は高いが給与の低い若手社員が転職するに及んで慌てることになる。

 

年齢や勤続年数に全く意味がないとまでは思わないが、あまりに拘泥する運用を続けていると市場競争から取り残され良い人材を失うことにもなりかねないので注意が必要である。

 

日本の会社勤務時代、子会社の課長から親会社の部長として逆出向したことがある。親会社には以前から付き合いのある人事の仲間が沢山いて伸び伸びとさせてもらったが、筆者の入社年次を覚えていて、彼らの入社した年次が1年でも遅いと「先輩」扱いをしてくれ、嬉しくもあるがこそばゆい気持ちもあった。外資にいると相手が10歳、20歳年下だろうが上だろうが関係ない。「仕事ができる人か?」、「人として信用できる人か?」ということにしか関心が持てなくなる(悪いことではないのだが)。もちろん入社年次などという概念はない。大半が中途採用だからである。

年長者に敬意を表することは、日本あるいは東洋の美徳と思われ、組織が安定するといった良さがあることを否定するものではないし、(これまで経験はないものの)若いのに極端に傲慢な上司には仕えたくはないが、企業内においては、能力や実績を中心に見る目を養うことが肝要ではないかと感じるところである。